マイコール資料館(2)


マイコール資料館は撮影は禁止されていませんでした。当日はサイト作者以外には見学者はなく、サイト作者も熱心に写真を撮ったのですが、あとで見てもうちょっと詳しく見たいところとかがあったらまた来ようと思って、わりと適当にパヤパシャ撮っただけにしてしまったのが、返す返すも残念です。まさかそれが最初で最後のマイコール資料館への訪問になるとは思ってもみませんでした。

さて、灰式カイロに関して、まず前提となる知識が必要なので、資料館の展示を使いながらご説明いたします。

灰式カイロの燃料の主成分は、おおざっぱにいうと、麻の茎から皮をはいだ芯の部分、麻殻を蒸し焼きにして炭素だけにした、要するに、麻殻で作った炭みたいな物が主原料です。麻殻灰といいますが、麻殻をただ燃やしてできた灰ではありません。それだとみんな燃え尽きてしまい、ほとんど残りません。この麻殻灰に、立ち消えせずに燃焼が持続するように助燃剤を加え、細かく砕いた物をさらに紙筒で包んで棒状にしたものが、わりと最初期、明治時代から昭和中期までの灰式カイロ燃料、カイロ灰です。

ここにあるものパッケージは商号が「マイコール懐炉株式会社」になっているので、昭和中期から末期くらいのものでしょう。

肝心のカイロ本体が見切れてるじゃないかよ!そうなのですが、まさかこれがこの展示を見る最後の機会だとは思わなかったのです。

そして1960年代中盤に、灰式カイロに新しい革命が起こります。
これまでのカイロ灰は、当たり前ですがボロボロと崩れました。上記の写真にあるカミヤ灰も、包んである紙を破るとボロボロと中身の灰が崩れて出てきます。が、1960年代中盤に、カイロ燃料が棒状のスティック燃料になります。マイコールでは旧式のものを「懐炉灰」、新式のものを「かいろ燃料」と言い分けていました。

昭和40年代という、いろんな意味でのんびりゆっくりしていた時代でしたので、新旧2種類のカイロと懐炉灰とカイロ燃料は、しばらくは併売されていて、徐々にスティック式にとりかわっていったようです。
なおこの時代に全部のメーカーの灰式カイロ燃料がスティック式に変わっています。特許とかなかったのか、既に特許切れの技術だったのか、よくわかりません。この時代、練炭とか豆炭はあったので、そのための技術を懐炉灰に転用しただけで、別に特許とか気にする必要もなかったのかもしれません。

マイコール記念館でのカミヤ懐炉の写真が見つからなかったので当サイト作者所有のもので補足します。左がスティック式燃料を使用するマイコール懐炉ゴールド、右が紙で包んだ懐炉灰タイプのものを使用するカミヤ懐炉です。

マイコール懐炉ゴールドは内側がガラス繊維ですが、カミヤ懐炉は金属枠です。当然ながら燃料に互換性はありません。カミヤ懐炉は懐炉灰のカミヤ灰用で、マイコール懐炉ゴールドはマイコールかいろ燃料専用です。

※懐炉灰はカイロ灰とも呼ばれます。そんなのどっちでもいいだろうとも思いますが、マイコールの製品に書かれていたのは「懐炉灰」でした。カイロ灰の製造組合のほうは「カイロ灰」です。当サイトではマイコールの商品名を指すときは「懐炉灰」を、一般名称としては「カイロ灰」を使いますが混ざってるところもあるのであまり気にしないでください。

マイコールの歴史

マイコール記念館とマイコール資料館は、2004年にマイコール創業100年を記念して開業しました。つまりマイコールの創業は1904年(明治37年)。ハクキンカイロよりはだいぶ先輩の企業でした。
まさかそのマイコールがその後わずか15年でこんなことになるとは、当時は全く予期していませんでしたが。

マイコールの創業時の屋号は紙屋商店。元々は紙を扱う商店だったそうです。上に載せた古いタイプのカイロと懐炉灰にもその頃の屋号「カミヤ」があります。

文字どおり紙屋だった紙屋商店がどうしてカイロ屋になったのか。紙屋商店の所在地は栃木町(現在の栃木市)。周辺はカイロ灰の一大産地でした。紙屋商店はカイロ灰を包む和紙の供給を一手に引き受けて成長し、そして1904年にはカイロ灰の原料の麻殻灰の生産も行うようになります。つまり、紙屋商店の創業は、本当はもっと昔だし、しかももっと古い時代から懐炉関係の商売はしていた、本当に古い企業だったのです。

ただ当時は麻殻灰のみの製造で、紙筒に詰めて懐炉灰にするところはやっていなかったようです。今まで自社の紙を買ってくれていたカイロ灰製造者と競合することになるのを避けるためかもしれません。紙屋商店が懐炉灰の生産を始めるのは1931年です。

けれどこの頃はまだ他店向けOEM(という言葉は当時ありませんが)供給のみで、「カミヤ」ブランドはまだ使っていませんでした。紙屋商店のカイロ灰は、他の栃木県産カイロ灰と同様、他店の名がつけられ、船で大阪に運ばれ、そこから全国の消費地に運ばれていました。

戦後、転機が訪れます。前述したとおり、それまでカイロ灰は栃木県から大阪の問屋に送られ、そこから全国の消費地に送られていました。これはカイロ灰に限ったことではなく、さまざまな商品が日本一の商業の町大阪の問屋街にまず運ばれ、そこから消費地に送られていました。けれど。
紙屋商店は気付くのです。紙屋商店があるのは栃木県。そして、カイロ灰の大消費地は栃木県を含む関東以北。大阪まで往復させる運賃が無駄じゃない?てか、大阪まで往復させる運賃がかからない分、うちの店は価格的にも有利なんじゃない?

こうして1949年。紙屋商店は株式会社化し株式会社紙屋商店となり、自社ブランドの灰式懐炉灰、「カミヤ灰」を売り出します。

では、マイコールという名称はいつから使いだしたのか。上記のカイロとカイロ灰の写真をよく見てください。紙で包んだ旧タイプのものが「カミヤ灰」で、スティックタイプのものが「マイコールかいろ燃料」。そうです。紙でくるんだ旧タイプのものと識別するためにつけた商品名が、その後、商号にもなったのです。

実際はかいろ用の燃料よりもあんかタイプのものが先に出ていて、1961年発売のあんか器とマイコールあんか灰が、マイコールの名をつけた最初の商品だそうです。実際の商品はこちら。(1961年製造のロット品ではありません)

これを見ると、当初のマイコールあんかの燃料は紙でくるんだタイプで、その後、固形の「マイコール固型あんか灰」が出たようです。

固形のカイロ燃料マイコール小灰と、この燃料専用のマイコール懐炉器(ともに発売当初の商品名)が出るのは2年後の1963年です。そして1969年には屋号をマイコール懐炉株式会社に変更。2002年にマイコール株式会社に商号変更するまでこの商号を使います。

マイコールが使い捨てカイロに参入するのは1978年8月です。現代と同じタイプの初の使い捨てカイロであるロッテ電子工業のホカロンも1978年発売なので、かなり早い時期に参入したことが分かります。


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