きとうPEACOCKコレクション(6)


今日のネタに入る前に。
連載第1回でちらっと、きとう氏は点火芯付Aの発売年を、ハクキンカイロ公式にある1971年ではなく1969年と考えているらしい、という話をしました。
だからこそサイト作者も連休中に図書館にこもって古い「山と渓谷」のバックナンバーと首っ引きになってたわけですが、結局、きとう氏が正しくて、サイト作者の認識が甘かったことが分かってしまいました。
それにしても。きとう氏のメモの日付は2006年。もちろんこれは氏がこの個体を入手した日付で、メモ書きをしたのはもっとあとの時代かもしれませんが、その時代に既にハクキンカイロ点火芯付Aの発売年を細かく調べていたというのが驚きです。サイト作者と同じように、図書館にこもって古い「山と渓谷」のバックナンバーとにらめっこしていたのでしょうか。でも、遺された氏のメモとかにはそれらしいものはなかったし、氏と面会したときやメールでもそんな話は全然出ませんでした。サイト作者と会ったときのとっておきの話にしようとしていたのかもしれません。

さて、今回のネタに入ります。きとうコレクションの存在を表に出すのに躊躇し続けてきた理由はいくつもあるのですが、具体的にはこのコレクションを一度開けるとなるといろんな意味で確実に半日仕事以上になるのが明白なこととか、
画像の個人名にマスクをしたりいろいろ処理が面倒なこととか、
その他公にしたことで生じると考えられるもろもろのトラブルのことも考えると、気分が重かったというのもあります。
コレクションを開くたびに。何かひとつかふたつ、箱から転げておちたままになるのです。カイロ1個のこともあるし、メモ書き1枚のこともあります。メモ書き1枚のほうが面倒です。何についていたメモなのかわからないからです。一度、全部しまったあとで、「この説明書は初めて見る」と書いた付箋紙を見つけたときは困りました。そもそも普段付箋紙とか使わない人なのに、どうしてここで付箋紙でメモなんかしたんだろう。なおこの付箋紙の相手は結局不明のままです。
あとからコレクションを見る人に、サイト作者の扱いが悪すぎたとか言われそうでそれも気が重いです。

最大の問題は値段です。きとう氏は購入金額を、場合によっては輸送費までも克明にメモ書きで残していました。が、その価格、サイト作者が見るに、結構お高いというか強気の価格なのです。つまり、全体的にかなり高めです。サイト作者だったら絶対にこんな金額出さないみたいな価格が記された機体もあります。
きとう氏は世界的なコレクターです。その世界的なコレクターが、ちょっと本気を出したら、まあ、相場よりも高い値をつけるでしょう。しかも、氏は死病に冒されていました。
ある程度死期を覚悟した世界的なコレクターが、晩年に集めたコレクション。となると。
まあ、相場より相当高い値段になってても当然かとは思います。でもこうやって公にしたら、それが標準だと思われる可能性は大いにあるのです。
なお逆にこんな安価で?というものももちろん多数あります。

もう一つ。氏のコレクション特に戦前ものは、たとえば、これとこれはパッケージの印刷の版が違うとか、印刷は同じだけどこちらはエンボス付きこちらはエンボスなしとか、そういうレベルの違いの考察がとても多いのです。
もちろんそれは製造時期同定のために必要な情報ではあるのですが、たとえば、こちらは箱エンボス加工なしアルミカップ、こちらはエンボスあり陶器製カップとかいいう、相当沼にはまっちゃってるレベルの話をここで紹介しても、まず読者の方にとってちんぷんかんぷんだしサイト作者のほうもどこまで細かく説明したものか、まさかその前提になる知識から全部説明するわけにもいかないし、結局最初に戻って、このコレクションをどう紹介したらいいのかわからないのです。(それにきとう氏も当サイト作者も、戦前型の全容をすべて知っているわけではありません)
氏のつけた価格はあくまで氏にとっての価格だし、非常に細かいところが気になってその価格まで競ったのかもしれません。
たとえば氏が既に箱エンボス加工付き陶器カップの物を持っていたとしたら。エンボスなしやエンボス付きアルミカップのものには高い値をつけるでしょうが、エンボス付き陶器カップのものには高い値はつけなかったでしょう。

念のために書いておくと、サイト作者は古いハクキンカイロに値段をつけて売ったりするのが悪いことだとは思っていません。むしろ、そういう人がいるからこそ、当サイトも古い個体を紹介できるのです。ただ、他の古道具的な品、たとえばOCCUPIED JAPANの皿とかに比べて、当時もののハクキンカイロには極端に高い値がつけられていることが多い気がします。(もちろん、現存する数が桁違いに違うという理由も確かにあるのですが)

1950年頃の製品

こちらは1949年から1951年頃の国内向け製品です。きとう氏のメモ書きを拡大してみてみましょう。

製造年の推定とか、いろいろ詳しく調べているところが分かります。が、サイト作者が注目するのは、これを手に入れた場所です。マスクした人名の右側にある2文字がその場所です。
アメリカのウィスコンシン州です。

箱と説明書を見ればわかる通り、この製品は完全に日本国内向けで、輸出用ではありません。むしろこの時代、ハクキンカイロ(当時の屋号は株式会社矢満登商會)は、積極的に英語パッケージを作ってばんばん輸出していました。
ではどうして日本語パッケージ日本語説明書の個体(この時代の国内向けの説明書は日本語のみで、英語での説明がありません)が、ウィスコンシン州から出るのか。それはこの製品が製造された時代、1949年から1951年頃の時代背景が大きく影響しています。
1950年に、朝鮮戦争が始まったのです。
その際、大量の米兵や国連兵がアメリカ本土などからまず佐世保や横須賀に送られ、そこから朝鮮半島に出兵していきました。
そのときの米兵らや関係者が日本でカイロを買って持ち帰ったため、こういう日本語表記のものがアメリカ本土などで出てくるのです。
もちろんこれは推測です。実際にはこの個体は米軍兵や国連兵とは何の関係もないかもしれません。ただ、輸出品が足りなくなったので国内版をアメリカに輸出した、というのは考えにくいです。この製品は国内向けのため、OCCUPIED JAPAN表記がありません。前回までに説明してきたとおり、きとう氏はMIJなのかMIOJなのかを非常に細かくチェックしています。そしてこの個体にはどこにもMIOJ表記がありません。そして、この時期、日本からアメリカ向けの輸出品には、OCCUPIED JAPAN表記が要求されていました。

この個体についている火口のことを氏はU火口と呼んでいますが、これは当サイトでかつてA火口より古い火口のことを全部U火口と呼んでいたことに起因するもので、氏のミスではなく当時の当サイト作者の調査不足が原因です。氏がもっと後に入手されたもののメモ書きでは異なる表記になっています。

この連載ももう終盤ですが、来週は少し前に始めたハクキンカイロ創業年の謎についてちょっとやるのでこちらの連載の次回は再来週になります。