公式がときおりつぶやくネタにそういうのがありますが、公式がつぶやいているもの以外で出てくるものを上げてみました。ただ、「白金懐炉」という表記になっていることが多く、これが白金触媒式カイロという意味で言っているのか、商品としてのハクキンカイロのことを言っているのか分からないものが多くありました。
公式がネタにしているのは、アニメ版けものフレンズ、ドラマ版ゆる△キャン、ゴルゴ13(原作漫画)です。なお、前にも紹介しましたが、ゆる△キャンのハクキンカイロ登場回には、ハクキンカイロ株式会社がクレジットに載っています。
ドラマ作品では、2011年の朝ドラ「カーネーション」60話で登場しますが、あまりいい登場の仕方ではありません。カイロに使っていたベンジンの瓶が落下して火災が起きるというシーンで出てきます。NHKなのではっきり分かる形では映していませんが。
ただし、出てくる商品は、当時(設定上の年である1943年)のものではなく、撮影当時(2011年)頃に販売されていたハクキンカイロPEACOCKのようです。
フタの穴の開け方が1943年当時のものではありません。
火口は設定上の時代のものでも、撮影当時のものでもありません。ちらっと見た感じだと、(というかちらっとしか映らないのですが)i-HOTやUSA版Zippoのものに似てる感じです。撮影当時のものだと時代が合わないということで、当時ものに形状が似ているものを用意したのかもしれません。
袋も当時のものではありませんが、これは元の袋が破損してしまい、手作り品を使っているという設定かもしれません。
このほかの突っ込みとしては、袋も、そしてベンジン容器も、当時のものとしてはちょっとカラフルすぎのようです。多少派手にしないとドラマとしては見栄えがしないのは分かりますが。
サイト作者的には、ハクキンカイロが原因で火災が起きる的なストーリーなところとか、登場人物が子供にこれは危ないものだから触っちゃいけない的なことを言うところとか、(もちろんそれはベンジン容器のことを言っているのですが、そのカットではベンジン容器は見切れていて、クチのところしか映ってません)あまり評価したくないドラマです。
かなり古いドラマですが、1971~1972年に放映された、「気になる嫁さん」17話にハクキンカイロが登場します。兄弟げんかで相手を殴ったら拳が懐のカイロに当たってあいてててみたいなギャグシーンで使われています。(ドラマそのものはギャグドラマではありません)
ここに出てくるのはクジャクの胴体穴9枚羽根の点火芯付Aのわりと初期のモデルです。撮影当時に販売されていたモデルを使用したものと考えられます。
漫画では、三丁目の夕日、750ライダーにも登場します。750ライダーでは「ハッキンカイロ」って言ってるのでこれは間違いないでしょう。
アニメだと、2011年の「テレビまんが 昭和物語」という作品に出てきますが、フタの模様は変えています。何話だったか忘れましたが冬が舞台なのは1~3話なのでそのへんだと思います。この作品には映画版もありますが、テレビシリーズ版のほうで出てきます。
小説などではいっぱい出てくるのですが、ほとんどが「白金懐炉」表記なので、ハクキン製のことを言っているのかどうか微妙に分かりません。新田次郎では2作品で出てくるので紹介します。
新田次郎といえば結構ガチに山を舞台にした作品を多く書いた人だし、設定とかも相当緻密だったことで定評がある人なので、その新田次郎が山を舞台にした作品で「白金懐炉」を登場させたということは、ある程度以上の確度で、そういう冬山登山者が当時からハクキンカイロを使っていたという推測ができると思います。
と、長々と書きましたが、要するに、「ちょっとでも山やってる人間からしたら、新田次郎作品に出てくるならガチ」です。
縦走路(1958年)、銀嶺の人(1975年) 。この2作で「白金懐炉」が出てきます。サイト作者的には、いくら何でも新田次郎が互換機とか類似品とかは使わなかったんじゃないかと思うし思いたいし、技術者であった新田次郎なら、どこの製品がちゃんとしたものだか分かるはずだし、この2作で出てくるのはハクキンカイロだっただろうと確信しています。
当サイトができた頃の2003年頃は、本格登山じゃハクキンとか役に立たない。本式の人間は灰式懐炉を使うんだみたいなことを言ってた人がいたことはいたのですが、少なくとも新田次郎は白金派だったようです。
「芙蓉の人」、「八甲田山死の彷徨」とかだと明らかに桐灰懐炉だと分かる懐炉が出てきますが、これは舞台が明治時代でまだハクキンカイロがない時代だからでしょう。
これらの作品が執筆されたのは昭和時代ですが、明治時代にはまだハクキンカイロがないということもちゃんと調べて書いてる新田次郎はさすがだと思います。この時代だとそういう調べ物をするのもなかなか困難だったと思います。ただ、桐灰化学の創業は大正4年(1915年)なのですが(そこでオチをつけるなよ!)。
明治期に使用されていたのはたぶん栃木県産の麻殻灰で、桐灰を使った製品はまだなかったんじゃないかなとも思います。桐灰化学より前に桐灰を使った懐炉が存在した可能性はゼロではなさそうですが、圧倒的に麻殻灰のほうが流通量は多かったと思います。
桐灰化学を買収した小林製薬のサイトにも明治時代は麻殻灰的な表記があるので、たぶん、桐灰を使用した懐炉は明治時代にはなかったっぽいです。
このへんのネタ、もちろんサイト作者一人じゃ調べ切れません。ネットでいろいろ検索して、ドラマ見てたらハクキンカイロが出てきたみたいな断片的な情報をかき集めて探してきたことをお断りしておきます。