点火芯付A 上辺3穴モデル


ハクキンカイロ点火芯付Aのロット違いの話です。
点火芯付Aには、大別して前期モデルと後期モデルがあって、前期モデルは上辺4穴クジャクの胴体穴9枚羽根モデル(以下、上辺4穴モデル)、後期モデルは上辺4穴クジャクの胴体浮き彫り9枚羽根モデル(以下、胴体浮き彫りモデル)がありますが、
上辺3穴クジャクの胴体穴9枚羽根モデルというものが少なからず存在するのです。
この製品は一体いつ頃、何のために生産されたものなのか。
この辺の話は点火芯付Aロット違いのページも合わせてごらんください。

当サイトで15年(たぶん)以上謎のままだった、ハクキンカイロ点火芯付Aの上辺3穴クジャクの胴体穴あり9本羽根モデルの出荷時期が当サイト読者のKSK氏提供の写真でやっとある程度分かりましたので紹介します。

まずはそのKSK氏提供の写真をご覧ください。

この写真類から、この製品は、上辺4穴モデルから胴体浮き彫りモデルへマイナーチェンジする直前に出荷されたモデルであることが判明しました。
時代的には1971年から1973年頃のものだと考えられます。

注意書き

どうしてそうだと言い切れるのか。付属している楕円形の注意書きからそれが分かります。

当サイト所有で、もう少し前のロット品のものの裏面はこうです。

一方、KSK氏所有の上辺3穴モデルのものはこうです。

「火ぶくれ等皮膚を傷めることがありますので、」とか「お寝みのときは身体からはなしてください。」などの警告文が大幅に増えています。
元々書いてあった警告文を、わざわざ後のロットで削除するとは思えません。つまり、当サイト作者所有のもののほうが先に出荷されたロットで、KSK氏所有のものは後から出荷されたロットだというのがこの警告文の有無で分かるのです。

要するにどういうことか。
簡単に書くと、そもそも点火芯付Aに付属の火口は、スポーツ用Sという爆熱モデル用でした。その火口を利用して通常モデルにしたのが点火芯付Aです。
が、スポーツ用S発売から点火芯付A発売まではわずか1年しかありません。何故そこまで急いだのかわかりませんが、とにかく、設計の時間が短すぎて、初期のハクキンカイロ点火芯付Aは、それまでのスタンダードモデルに比べてかなり爆熱になってしまいました。
そのため、火ぶくれとかお寝みのときはみたいな警告文が、あとから慌てて書き足されることになったのです。(これらの注意書きは説明書にも書いてあるものもありますが、繰り返しで書かなければならないほどの事情があったのでしょう)
が、いくら警告文をつけたからといって爆熱すぎるという性質は変わりません。そこでハクキンカイロは、上辺の穴の数を減らし、穴も少し小さくした、この上辺3穴モデルをつくってみた。が、爆熱なのはあまり変わらなかった。そこで上辺3穴モデルを継続して製造することは諦め、思い切ってクジャクの胴体を浮き彫りにして穴をふさいだ、「上辺4穴クジャクの胴体浮き彫り9本羽根モデル」を作ることにした、というのが、サイト作者の推測です。

ロット番号

この時代の点火芯付Aはロット番号がついているので、KSK氏にロット番号も送っていただきました。
が、ハクキンカイロのロット番号は、数字が小さいから古いとか大きいから新しいとかいう簡単な並びになっていなくて、ロット番号の大小で何かを判断するのは危険なので番号は書かないでおきます。
ただわりとおぼろげに分かっていることは、ロット番号が近い製品はほぼ同時期に製造されたと推測できそうだ、ということです。
たまたま当サイト作者所有のものに、KSK氏所有のものとロット番号が200ほどしか違わない製品があったので比較してみました。点火芯付Aロット違いのページの表の最初にある「比較的初期のパッケージです。」のものがたぶんこれです。仮にこの機体を「サイト作者所有モデルB」と呼びますが、KSK氏所有のものが上辺3穴モデルで、サイト作者所有モデルBは上辺4穴モデルというだけでほぼ同じでした。違いは、楕円形の注意書きの色で、下地の色が違うとかいうくらいで文章やフォントや文字の並びは全く同一でした。(下地の色の違いとかはサイトの写真でもお分かりになると思います)このほか、ベンジンカップの色など若干の違いはありますが、だいたい近いロットとみてよさそうなくらいの差異でした。
ロット番号は当サイト作者所有モデルBのもののほうが少し大きく、当サイト作者所有Bのもののほうが少し新しいロットのようです。
このことから、上辺3穴モデルは、上辺4穴モデルと混ぜられて出荷されていたとも推測されます。
なお、爆熱なのは点火芯付A火口の特性で、現代のHAKKIN換火口は、そこまでの発熱量はありません。

最初期ロットの可能性

さて。これでこのKSK氏所有モデルの出荷時期はある程度推定できたわけですが、実はハクキンカイロ製品はそれだけでは製造時期がはっきり同定できないのです。というのは、パーツが不足すると、在庫のパーツをかき集めて製品にして出荷とか、ハクキンカイロはわりとよくやるのです。ということは、
この製品は実は最初期に製造されたもので、部品が足りなくなったので出荷に回された可能性も、まだ残ってはいるのです。
上辺4穴クジャクの胴体穴ありモデル出荷末期。追加注文が入ったけれど在庫がなくて、でも生産ラインは既に胴体浮き彫りモデル生産準備に入っていて追加生産できない。しょうがない。じゃあ出荷せずにお蔵入りになっていた上辺3穴モデルを出荷しちゃえ。別に製品に問題があるわけじゃないんだから。
そういう可能性もまだ、残ってはいるのです。

サイトのほうに超初期モデルとか書いちゃったから引っ込みがつかなくなったんだろうと言われそうですが、そう考える理由はちゃんとあるのです。
具体的には、上辺4枚羽根モデルが爆熱だったので、試しに3穴モデルと胴体浮き彫りモデルの2つを作ってみた、という仮定が、少しおかしいのです。
使わないかもしれないものの型をわざわざ起こすだろうか。型を作るには現代でも何百万円もかかります。どうせ上辺4穴を3穴にしたからって、そんなのは文字通り小手先の対策にしかなりません。それに、試しに上辺3穴にしてみるだけならば、上辺4穴モデルにアルミテープでも貼って実験してみればよろしい。わざわざマイナーチェンジ間際の忙しい時期にに使いもしないことがすぐ分かるような型を起こした、というのは、おかしいのです。

では上辺3穴モデルはプロトタイプなのか。その可能性も低いと思います。この個体は結構あちこちで出てくるのです。当サイトでも写真を頂いた2名の方のもののほかに、当サイト所有のものとかもあります。プロトタイプにしては数が多すぎるのです。それに、そんなことも知らずに使っている利用者も、恐らくもっともっとたくさんいると思います。

それに、プロトタイプで上辺4穴モデルと上辺3穴モデルを作ってみてどっちか良い方を採用しよう、という場合、前述したとおりとりあえず上辺4穴モデルだけ作って、アルミテープでふさいで比較すればいいだけで、3穴と4穴の2つの型を作る必然性は全くないのです。
念のためにアルミテープの製造開始がいつなのか調べましたが、1940年代には既に存在していたそうです。
それに、そんな試験のために作ったのなら数個や数十個くらい作ればいいだけなのに、製造から50年も経っているのにあちこちで今でもぽつぽつ見つかる。プロトタイプにしては数が多すぎるのです。

サイト作者は、上辺3穴モデルは、点火芯付A発売決定前に生産された量産試作機ではないかと考えています。単純にプロトタイプというと普通は原理試作機といって、手作りで穴をあけたり形を整えたりして調整して実際に動くかどうか確かるための機体になります。
そしていよいよこの形大きさで生産しよう、というときに、ひとまずプラントを動かして、数千個単位で試しに作ってみます。これが量産試作です。
実験室で手作りで作ったときはうまく作れたけれど、いざ工場で量産しようとしたら、加工が難しくて作れなかった。特定の工程で手に入りにくい特殊な部品を使わなくちゃならないことが分かってペイしなかった、不良品続出でとても出荷できない。そうなったらその製品は量産試作まで行ったけれど発売見送りとなってしまいます。
では何故ハクキンカイロは点火芯付Aの量産試作を行ったのか。
実は点火芯付Aは、ハクキンカイロがそれまでに大量生産してきたモデルとはかなり作りが違うのです。具体的には、点火芯付きのモデルはそれまでもいくつかあったけれど、どちらかというと脇役モデルです。でも今度は主力機に点火芯を付けるわけで、それで一応量産試作をすることになったのではないか。
量産試作を行って、点火芯を付ける工程で問題は生じないか、注油中に点火芯からベンジンがたれたりしないか、カップはちゃんとつくか、フタはゆるゆるきつきつになってないか、そういう確認と微調整が行われたあとで、いよいよ本番の量産が始まることになった、そのとき突如急転直下、上辺3穴から4穴への変更が行われ、上辺3穴の量産試作機はこの時点では市場には出回らず、後にパーツが足りなくなったときに間に合わせで出荷された、という推測です。

この仮定にかなり無理があるのは分かっています。元々爆熱だから11本羽根から9本羽根にしたのに。上辺4穴から3穴にしたのに、上辺4穴に戻す必然性が全くない。しかも、型を新たに作る必要もあるのです。そこがこの推測の最大の弱点です。
サイト作者は、営業から突き上げがあったのではないか、と推測します。当時のハクキンカイロの主力製品は、高級機のA(青函)と、廉価版の貼り合わせモデルの赤函の2つでした。そして、点火芯付Aは、高級機のA青函よりも高くて、点火が面倒で、換火口も高いのです。唯一の長所は火口の寿命が長いことですが、その利点も価格差で相殺されてしまいます。
高いだけでメリットのない新型は売れないし売りようがない。営業にそう言われて、では、従来機よりも温度が高いのを売りにしよう、と考えた。そしてそのときに、上辺3穴から4穴へ設計変更が行われた。
非常に弱すぎるのですがサイト作者の推測はこうです。
この仮定も非常に弱すぎるのは、当時の説明書とかに、従来型より高温!みたいなあおり文句がないことです。逆に、カイロは非常に高温になるみたいな注意書きが説明書と楕円型の注意書きの両方に書いてあるので、生産側は高温になることに逆に神経質になっていたことも推測できてしまうのもこの推測の弱点です。

3穴で作ってみたら製造時に不具合が生じ、やっぱり4穴じゃないと作れない、という製造工程上の問題があって設計変更された、という推測もできますが、3穴は作れないのに4穴は作れる生産ラインというのが想像できません。穴が小さくて均一の大きさの穴を作るのが難しかったとか、型の小さい穴を開ける部分がもろくなって量産試作中に型が壊れてしまったとかいうのはあるかもしれません。今のところ一番無理のない推測はこれです。

もう一つ考えられるのは、量産試作まではやったけれど、点火が面倒だし価格も高くなりすぎるし、正式発売は見送ろう、ということになった。その後、何らかの事情で急転直下「やっぱりあの点火芯付カイロを発売しよう」ということになったが、発売されないことが既に決定したあとで、型もなくなっていたので、そこから作られた型は上辺4穴になった。試作ロットの上辺3穴モデルの在庫は倉庫の隅に置かれて二度と再生産されなかったが、部品が足りなくなったときに出荷された。
ただこの推測にしても、いや上辺3穴で別に何も困らなかったのに、再設計の際にそれ以上に爆熱になることが分かっている4穴モデルに変える必然性があるのか、そこが謎として残ります。それでもサイト作者はこの製品が最初期の量産試作機である可能性を残したいと思います。

フタと本体を取り替えられるかもやってみました。「サイト作者所有モデル」、「サイト作者所有モデルB」を含むこの時代のクジャクの胴体穴あり9本羽根モデルはどれも互いにフタとタンクはすっぽりとはまり、ゆるかったりきつすぎたりはしませんでした。そして、上辺3穴モデルも例外ではありませんでした。手元にある全数を調べたわけではありませんが、この方法では製造時期の同定はできませんでした。

高度経済成長期

細かい注意書きが増えた理由には、当時の社会情勢も関係しているとサイト作者は考えます。
当時の日本はオリンピックが終わり、万博も終わって、けれどまだオイルショック前。日本全体が高度経済成長を謳歌していた時代でした。働き口はいくらでもあって、働けば家も車も買える。そして買い物そのものが変わったのもこの時代です。それまでは米や酒や灯油は配達してもらうものでした。重くて徒歩で買いに行くのは大変だったのです。魚も野菜も売りに来る人とかいた時代でした。豆腐は自分の家の前に売りに来るのを待ち構えて買う時代でした。
それが団地やマイホームの時代になると、米屋が酒屋が配達に来ても家に鍵が閉まってる。それにマイカーで買いに行けるから配達の米屋酒屋はあまり必要でなくなる。小さな町の八百屋が減り、スーパーに並んでレジスターで買い物をするようになる時代になると、町の薬屋のおやじに、これはこうやって使うものなんだとかたっぷり10分以上説明を受けてからハクキンカイロを買うとかいうこともなくなり、レジかごに放り込んだお菓子や薬やジュースと一緒にハクキンカイロを何も知識もないレジのおばちゃんが値段だけたたいて売る時代になった。この時期ハクキンカイロが大量にテレビラジオで広告を打っていたことも関係あるでしょう。テレビを見て買いに来る人はいちいち説明を聞いて買うようなことはないだろうし、でも、当時はナショナルカイロが攻勢をかけてきていた時代。ハクキンカイロとしても宣伝を減らすわけにもいかなかったのでしょう。
そうすると全然説明書を読んでいない、誰からもレクチャーを受けていない新規ユーザーが急に増える。この時期スキーとか華やかなレジャーが流行りだしたのも関係しているでしょう。使い方をよく知らない説明書もよく見ないユーザーが増えたことによって、やけどした熱すぎるみたいなトラブルが増えたとも考えられます。


“点火芯付A 上辺3穴モデル” への1件のコメント

  1. うちのありますね。3穴点火芯A
    新金型を起こしたけど、3穴を開ける型が早期に破損して元の青箱4穴金型に戻した、という説はどうでしょうか?

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