戦争


この時期になると(正確には先週くらいでしたが)、東日本では東京大空襲がどうたらみたいな番組が増えるのですが、今年はさらに東京大空襲80年とかでそういう番組をつくるところが多かったのですが、ハクキンカイロ(当時の屋号は矢満登商會)が大阪大空襲で焼けてから80年です。

軍需産業として大成長し、そして空襲で灰燼に化す。いろんな意味で、戦争に翻弄された企業なんだと思いますが、

そもそもハクキンカイロは日本軍とどれくらい関係があったのか。実は記録でそれを確かめるのは結構大変で、飛行機を暖めるカイロを作っていたみたいな話は出てくるけれど、じゃあそれが当時の記述とかで残っているのかというと、実は探してもなかなか見つからないのです。

戦前の飛行機の教本みたいのに、寒冷地ではあらかじめ白金懐炉で暖めておくみたいなのは載っているので、実際に使用されたのは間違いないとは思います。でも、日本軍が直接、あるいは代理店を通してハクキン懐爐をある程度まとまった量買い付けていたという記録は出てきません。

これにはいろんな理由があります。第一に、国軍が使用する物品の調達先とか、たいていの国では軍事機密です。第二に、日本軍は敗戦時に記録をみんな焼いてしまいました。そういうのもあって、記録が残らなかったのだろうと思います。ただ、満州の冬の行軍では白金懐爐を使用とかいう文は残っているので、実際には使用されたのだろうと思います。

ただそのハクキン懐爐は、軍部が購入して兵士に供給した、官給品なのか、それとも、兵士が自費で購入した物なのか。

戦中のハクキンの広告に、慰問にハクキンというキャッチフレーズが何度も出てきます。慰問袋にハクキン懐爐を入れましょうというキャンペーンなのですが。そうすると、現場の兵士はハクキン懐爐を使ったけれど、それは慰問袋に入っていたもので、軍が調達したものではないともいえそうです。

当時の広告には、軍も使っています的な文言はありません。軍が使っているとかいうのは絶好の宣伝材料になりそうなのに、そういう語は出てきません。ただしこれは、前述のとおり国軍の使用する物資の調達先は軍事機密だからで、軍からそういう文言の使用が許されなかったからだろうという推測もできます。実際、当時の広告で、そういう、(陸軍購入品、みたいな文言の)広告は、ハクキン懐爐以外の製品でも見当たりません。

では、現場の兵士に供給されたハクキン懐爐は、慰問袋と兵士が休日に基地外の商店で個人的に購入したものだけで、実際に軍がハクキン懐爐を購入したことはなかったのか。これも相当長いこと謎で、官給品としてハクキン懐爐が供給されたという記録が出て来ない。やっぱり、戦地でのハクキン懐爐の供給は慰問袋と町で買って来いだったのか、とも思ったのですが、満州で現地の兵士全員にちゃんとハクキン懐爐を供給するのにそれだけで間に合ったのかとも思うのです。

で、結論からいうと、やっとのことで日本軍がハクキン懐爐を購入していたという記述が見つかりました。これは矢満登商會や軍の公式文書ではなく、あの商店(矢満登商會)は軍にハクキン懐爐を供給している、という、第三者が残した記録で、その記述が正しいかどうかの検証というのはこのあと待ち構えているとは思いますが、軍のどの部署が買ったとかいうのも書いてあるのであるていど信憑性はあるかと思います。それによると、

ハクキン懐爐をある程度まとまった量供給した先は、陸軍被服廠で、満州向けだったという、ある程度はっきりとした記録がありました。前述したとおり、これは、ハクキンカイロ(当時の屋号は矢満登商會)製のハクキン懐爐です。

さらに追加で、その時代に記録されたハクキンカイロ(当時の屋号は矢満登商會)の創業年も分かりました。以前、矢満登商會は戦前は創業年を大正10年とか大正8年とか書いていて、大正12年(1923年)と記述することはなかった、創業年が1923年になったのは、1953年、二代目的場恭三社長の時代に30周年キャンペーンを打ったときだ、と書いたのですが、

実際には1935年頃から大正12年表記も現れ始めています。ただしこの時代は大正10年になったり12年になったり記述は揺れ動いていますが、だんだんに大正12年表記が一般的になり、終戦前つまり1945年までには大正12年創業という表記のみになっていたようです。つまり、創業年を1923年にしたのは、初代的場仁市氏の時代になります。

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