ハクキンとハッキン


ハクキンカイロは何故ハッキンカイロではないのか。歴史的仮名遣いだと白金は「ハクキン」なのかというと違います。白金は元々「ハッキン」と書いたし読みました。
ハッキンだと「発禁」に通じて縁起が悪い、みたいな説明をされることが多いですが、サイト作者は初代的場仁市氏が相当にいろいろ販売戦略を練った結果として「ハクキン」にしたのではないかと思います。

販売戦略を練ると何故「ハッキン」ではなく「ハクキン」になるのか。それは。「ハッキン」だと、普通名詞と見なされて商標登録できない可能性があった。それを回避するためにわざわざ造語の「ハクキン」にしたのではないか。
たとえば亜鉛を扱っている「亜鉛金属株式会社」とかいう会社が「亜鉛」を商標登録しようとしても、普通名詞という理由で登録できません。少なくとも大正時代はそうだったはずで、それであえて造語にしたのではないか、サイト作者はそう考えます。
ということは。です。ハクキンカイロは創業時から、相当に腕の立つブレーン的な販売部長的な人物がいたのではないか。とも思います。少なくともあの時代に新発売の時点で商標登録を見据えたネーミングにして、大手呉服店で売り出し、新聞雑誌に派手に広告を打つ。今だと当たり前ですが当時そんなことをやっているカイロ屋は一軒もありませんでした。それは、マイコール資料館の展示でも分かります。そういう戦略を一手に引き受けていた人が誰だったのか。それもちょっと気になります。

広告代理店でいうと最初期の矢満登商會は電通と取引があったようです。ただ、その後、昭和時代は博報堂を使っていた時代があるのは分かっています。というか、あの時代に創業直後の個人商店が派手にあちこちに広告を打てたのは、大手広告代理店が入っていたからでしょう。
とはいっても当時の電通は日本電報通信社といって、大きな葬式があるときに取引先や親類知人に電報で訃報を送るのを生業にしていた会社で、今のあの電通とはかなり性質が違う会社でした。(もちろん広告業もやってましたが)
まあ、そんな時代から電通とかと取引してたからこそ、ラジオCMもテレビCMも最初期から打っていた会社になったわけですが。


「ハクキン」と書くけど読むときは「ハッキン」と読んでいたのは昔からのようです。先週も触れたのこいのこのCM曲、「ハクキンカイロ」でも、のこは「ハッキンカイロ」って歌ってました。


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